2007年 5月29日


投稿者 かくかく

『怪獣映画に必要なものは何か?』その弐
前回はゴジラとガメラについて、この3つの違いを挙げました。               
その壱・怪獣の巨大感がかなり違う!                           

その弐・怪獣の恐ろしさの表現度もかなり違う!!                     

その参・テーマ性にも差がある!                             

今回は、その弐「怪獣の恐ろしさの表現」について考えたいと思います。           

日本の怪獣映画というのは、どうしてもB級に見られがちな気がする。それに比べてハリウッドの 映画、たとえば「エイリアン」や「ターミネーター」と言った物は、なぜか人気がある。同じSF なのに、これはどういうことか。個人的には、「怪獣」や「怪物」の恐怖の表現が出来ていないか
らだと思う。                                      
前回取り上げたが、『巨大』というだけで結構な迫力がある。しかし、デカければ良い。と言うわ けでない。たとえば、1984年にやったゴジラの冒頭で、主人公が船の中で突然変異したフナム シに襲われるシーンがあった。このとき出てきた『ショッキラス』とか言う名前の巨大フナムシは 全長が、目測で1mぐらいだった。「人形」と言い切ってしまう冷めた人間にはどうなのかわから ないが、この直前に、主人公がミイラ化した死体を暗闇の中で見つけ出すシーンがあった。元が 「虫」だから1mでも十分デカイのだが、日本では小型。直前にミイラ化した死体を発見した上、 周囲は暗闇で静まり返っている。                             
そこに突然、1mもある虫が襲い掛かってくる。ああ恐ろしい・・・・            
他にも平成期の作品では、「VSビオランテ」で突然ツタが襲い掛かってくるシーン、「VSデス トロイア」でデストロイア幼体の襲撃シーン、「G消滅作戦」でメガヌロンが人間を食い殺すシー ン等がある(実はどれも、『暗闇で不意に』と言うパターンなのだが(^^;)        
よく考えていただきたい。100mもある怪獣が襲ってこなくても、演出とBGMであれだけ恐怖 感が出せるのである。怪獣というのは元々、恐ろしいものである。人間を踏み潰し、焼き尽くし、 時には食い殺す。最近公開された韓国映画「グエムル〜漢江の怪物〜」もとっても人気が出た。 (私も見ました)                                    

話を元に戻そう。今回もまた、ゴジラとガメラの作品を比べてみようと思う。         
ゴジラ映画とガメラ映画の中で、大ざっぱだが(本当に大ざっぱです。間違ってる可能性アリ)作 品中に一瞬でも「恐怖」の要素が入っている割合を計算したのだ。              
すると、ゴジラは50%程度、ガメラは80%以上、と言うものだった。           
代表的なもので言えば、ゴジラは、まず54年の初代、74年の『対ヘドラ』、01年の『大怪獣 総攻撃』が上げられるだろう。                              
ガメラは・・・・・まてまて、ガメラはほぼ全ての作品に、「恐怖」の要素が含まれているのだ。
あえて代表を上げるなら、平成3部作と言ったところか。                  
「大怪獣空中決戦’96」では、ギャオスのフンの中から知り合いのメガネが見つかる、と言うシー ンがあった。これは、ギャオスに人間が食われたという間接的な恐怖表現だ。         
「レギオン襲来’97」では、暗い地下鉄構内にソルジャーレギオンが出現し、人間を襲っていた。
このとき電車の車掌が殺されるシーンでは、運転室のガラスが噴出した血で染まるという表現をし
ていた。これは手の位置などを考えれば、誰がどう見ても頭を貫かれたと思うだろう。     
「邪神覚醒’99」では、壊滅状態になった村を調べていたら、家屋の中にミイラ化した死体がぶら 下がっているシーンがあった。無論人形なのだが、表情等の作り込みがよく出来ているので、やっ ぱりコレも怖い。・・・・・「小さき勇者達’06」でも、怪獣ジーダスに人間が食われるシーンが あった。このときの表現は、一度目は『パニクる人間が海中に引きずり込まれ、しばらくの後海面 が真っ赤に染まる』・『ジーダスが口を見えないところまで下げると、人間の悲鳴と共に「グチュ ッ・ベキッ」といういやな音が聞こえてくる』だった。                   
ここまで書けばお気付きであろう。そう、日本の怪獣映画はほぼ必ず『間接的な表現』で恐怖を表 現するのである。                                    
「ターミネーター」などいい例だが、アメリカのSFでは、「人間の死亡」を克明に描写する傾向 がある。                                        
なぜそうなるのか?                                   
その答えは簡単、『子供も見る』ことを前提としているか、していないかである。       
「地球最大の決戦’64」で完全に、ゴジラは正義の味方となった。この頃から、ゴジラは子供達の ヒーローとなったのである。そのため、「恐怖」の表現は滅多にしなくなったのであろう。   
だが、同時期に誕生した『ガメラ』はむしろ逆の路線を進んだ。ガメラは元々、「子供の味方」と いう設定で誕生した。リアリティの面で考えればおかしいと思う人もいるだろう。だが、昭和のガ メラを見ていて私はあることに気が付いたのである。ガメラは子供の味方という設定であるが故に 、子供が危険にさらされれば必ず身を挺して守る。子供が危ない!と思ったときにガメラが助けに 来てくれると言うことは、子供を平気で殺すような敵が必要になってくる。          
と、言うことはだ、敵が思いっきり凶暴であったほうが、ガメラという存在がより引き立つのでは
ないだろうか?                                     
再び例を上げるが、「ガメラ対ギャオス’67」では子供を見捨てて逃げた男が、起き上がったギャ オスに捕まえられ、食われるシーンがあった。このときは、「悲鳴と共に視点がギャオスの口に迫 っていく」という表現をしている。その後、その子供も食われそうになるが、すんでのところでガ メラが登場し、助けられている。                             
このように、ガメラを引き立たせるために行ってきた恐怖表現が、今でも生かされているのではな いかと私は思う。                                    

これはあくまでも個人的な考えだが、怪獣(怪物)映画を作るのであれば、多少の恐怖表現は必要 であると思う。『コレといったテーマも見当たらずただ怖いだけ』という映画は絶対にイヤだが、 『着ぐるみが殴りあうだけ』の映画にもしてほしくない。                  
日本人の大多数は今、『日本の怪獣映画は見ないがアメリカのモンスター映画は見る』状態であろ う。たぶん、子供だましだと思われているのだろう。(私自身は嫌いではないが、怪獣も基本的に デフォルメだし)だが、良く考えてもらいたい。SFうんぬんを抜きにして、『実際の爆発』と 『CGの爆発』どっちが迫力があるだろうか?『本物のゴキブリ』と『CGのゴキブリ』どっちが 怖いだろうか?(←!?)                                
そう、「実際の迫力」という点ではCGは実写にかなわないのである。ましてや、日本の特撮は5 0年以上の歴史があるのである。その気になれば、CGぐらい簡単に越せるのではないだろうか。 もう一度言うが、多少の恐怖表現は必要であると思う。しかも、演出やBGMを工夫すれば、CG よりも絶対に迫力があるだろう。                             
だが絶対に、『怖いだけの映画』にはしないでもらいたい。