2007年 5月6日
投稿者 かくかく
『怪獣映画に必要なものは何か?』その壱
2004年、「ゴジラ FINALWARS」が公開され、ゴジラシリーズは一旦幕を閉じました。
さて、ここで残念だったのは、ゴジラシリーズ全28作品の観客動員数の合計が、1億人に達しな
かったことです。ううむ、無念・・・・ ←(?)さて、話はここから。
知っている方もいると思うが、私は『脚本家 DE 映画監督』という将来の夢を目指し、「レドラ」
なるオリジナルの怪獣映画を作っている。だが私はまだ中学生のガキンチョだし、「映画」につい
てまだ知らないことも多い。そこで、あちこちのサイトにある映画評論のページを読みあさり、人
々が映画にたいしてどのような思いを抱いているのか、学ぶことにしたのだ。そこで、私はあるこ
とに気が付いた。
「ゴジラ」と「ガメラ」、どこのサイトの評論でも共通していることがある。ズバリ、『ゴジラに
は酷評が多い!!』
本当である。私の見る限り、どこのサイトの評論ページでも、ゴジラ(特に平成に入ってからの作
品)は酷評が多い。たとえば、カメラの位置をもっと工夫しろとか、リアリズムが全く無いとかさ
まざまだ。
それに比べてガメラは、逆に平成に入ってからの作品、特に「レギオン襲来」が評価が高い。私も
、「ガメラ2」は好きな作品だ。(ちなみに、ゴジラのほうは「VSビオランテ」)
同じ時期の作品だというのに、この評価の差はなんなのだろうか。色々比較してみたところ、いく
つか判ったことがあった。
その壱・怪獣の巨大感がかなり違う!
その弐・怪獣の恐ろしさの表現度もかなり違う!!
その参・テーマ性にも差がある!
壱と弐をまとめて言えば、「リアリティの違い」ということである。
今回はとりあえず、壱を考えたい。
怪獣というのは、ほぼ例外なく人間よりデカイ。自分よりデカイ&得体の知れないバケモノに襲わ
れる、これ以上の恐怖は無い。たとえ見たことがあるような姿でも、普通に考えれば「自分よりデ
カイ」というだけでも十分怖い(背の高い人をバカにしているわけではありませんよ)柳田理科雄
氏の「空想映画読本」によると、「北斗の拳」に出てきた巨人『デビルリバース』は身長17mだ
と言う。もし自分の住んでいる団地よりもデカイ人間が、鬼のような形相をして目の前に現れたら
、誰だって腰を抜かすだろう。同書でも取り上げられていたが、デカイだけでそれぐらい迫力があ
るのである。
ところが最近の怪獣映画では、どうもその「巨大感」というものが欠落している気がする。たとえ
ば、「ゴジラVSモスラ」のクライマックス。中途半端な視点から映してるもんだから、ゴジラが
デカイのか街が小さいのかさっぱりわからない。要するに、「ミニチュア」が丸出しなのである。
人間の視点から映すなら、遠くても近くても良い。そもそも、「怪獣」というのは人間から見てデ
カイから、迫力があるのだ。「VSビオランテ」のクライマックスや、「VSキングギドラ」の1
シーンなどが良い例だ。
そうでなければ、怪獣の視点から映すこと。怪獣からすれば、その辺の建物など本当にミニチュア
に過ぎないのだから、小さく見えて当たり前。要は、メリハリが大事なのである。
よく考えたら、100mという身長も問題だ。確かにデカイことはデカイが、カメラワークなどの
問題で巨大に見えない。第一、ここまでくると巨大すぎて、人間に実感することができない。逆に
リアリティが失われてしまうのである。山より少しデカイぐらいの、身長50mぐらいが丁度いい
のかもしれない。
ここまで書くと、「ガメラ2」の良さが改めてわかる。身長100mにも関わらず、人間の視点か
ら映したことで小さな家がスケールの目安になり、とても巨大感が出ていた。レギオンに至っては
、足元から映したことで、160mと言うデカさがとても良くわかる。クライマックスなど、もう
最高だ。
長くなってしまったので、今回はこれで終わりにしたい。