2007年 7月17日
投稿者 かくかく
『怪獣映画に必要なものは何か?』その参
前々回で、ゴジラとガメラについて次の3つを上げました。
その壱・怪獣の巨大感がかなり違う!
その弐・怪獣の恐ろしさの表現度もかなり違う!!
その参・テーマ性にも差がある!
今回は、その参を検証してみようと思います。
「映画」や「小説」と言うものは、何かを伝えるために存在するのだと思う。簡単に言えば、「何を
描きたかったのか」ということである。別に、観る人に深く考えさせるような重い演出でなくとも、
描きたいことがハッキリしていれば観る人読む人はわかってくれるだろう。
『風刺アニメ』というのは面白いもので、一見た だふざけているだけのように見えるが、実は当事
者がドキッとするような皮肉やイヤミがあちこちに含まれているものである。
とにかく大げさなのだが、その分何を皮肉っているのかが非常にわかりやすい。そういう意味で、風
刺モノのアニメやマンガというのは、結構参考になると私は思う。
前置きはこのくらいにして、本題に入ろう。
まず、怪獣映画の中で重いテーマの代表格は、やはり初代ゴジラであろう。
核兵器のもたらす結果と共に、戦争自体も投影しており、ほんの10年前に敗戦を経験し、つい最近
もビキニ環礁の核実験を食らった当時の日本人にとっては、相当に重く受け止められたことだろう。
(アメリカで英語に吹き替えられたものでは、ゴジラ誕生の経緯については一切省かれたらしいです
が ;^^)「ゴジラ対ヘドラ」も相当に重いテーマである。当時とは多少事情が変わっているが、今
でも一見の価値がある作品だと思う。
平成ガメラシリーズは、「現代文明への警鐘」がテーマだろう。自分達の作り出した兵器で滅びた古
代文明は、「ギャオスの卵」という置き土産を残していた。「核爆弾」という自らの作った兵器で滅
び、後世にも「放射能」という置き土産を残そうとしている人類は、本当に劇中の古代文明のように
なってしまうかもしれない。「小さき勇者達」では、「本当の親子」が描かれていた気がする。
ここまで書くと、「何だ、ゴジラもガメラもちゃんとテーマ性あるじゃないか」と思ってしまうが、
ここで注目してもらいたいのが作品の作られた時期である。私がここで上げた作品は、ゴジラは昭和
に作られた初期作品、片やガメラは平成に作られた新シリーズである。昭和の怪獣映画というのは、
どうしても子供向けに作られる傾向があったため、昭和後半、重厚なテーマを含む作品は滅多に無か
った(昭和前半にはテーマ性のある作品多いですが)。
じゃあ平成の作品は?と思うが、平成からの作品は「原点に立ち返り『恐怖のゴジラ』を描いた」ハ
ズなのだ。つまりは、着ぐるみが殴りあうだけの子供だまし映画、というレッテルを捨て去り、テー
マ性のある映画を世に生み出していたはずなのだ。だが、それが出来ていた映画はなんだか少なかっ
た気がする。「恐怖」というのは、なにも特撮で街がボカスカ破壊されていくというだけではないと
私は思っている。「テーマ」を設定し、その「テーマ」に沿った、あるいはその「テーマ」を引き立
たせる演出こそ本当の「恐怖表現」では?と思っている。だからこそ、初代ゴジラは「怖い」のだと
思う。私の見る限り平成の作品でハッキリとコレがいえるのは「VSビオランテ」ぐらいに思える。
(「ビオランテ」ほどではないが、「VSキングギドラ」と「VSデストロイア」も結構良かった)
「VSシリーズ」からは離れてしまうが、「2000(ミレニアム)」では『テーマが存在しない』
という事態が発生してしまった。
いくら特撮技術やCG技術が進歩したところで、テーマが存在しないのでは着ぐるみの殴り合いと同
じだ。それで何かを感じ取れと言っても無理があるし、世間の偏見はますます高まっていくでしょう。
ここまで、好き勝手にいろいろなことを言ってきましたが、私は怪獣映画は好きです。
私が映画の道に進もうと思ったのも、怪獣映画のおかげです。
でも、だからこそ、それを創る人達には感動できる作品、納得のいく作品、考えさせられる作品を創
ってほしいのです。
「ゴジラ」に始まった日本の怪獣映画は、この50年間で大きく変わりました。
技術の面ではもちろんですが、やはり、「怪獣映画とは何か」が変わってしまった気がします。
怪獣映画を観るだけで「ちょっと変わった人」なんて思われてしまうようでは悲しいではないですか。